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当ブログ管理人、千葉県八千代市で「個別学習ヴァージャー」という塾をしているうかる~る・岡本と申します。 ここでのブログはまだ始めてから短いですが、少しずつ充実させていきたいなと思っております。学習塾の塾長をしておりますが、教育の話はほどほど(?)で、日々のうたかたをお気楽かつ皮肉交じり?に綴っております。一部の個人情報を除いては「ほぼノンフィクション」になっております。ブログがリアルへの架け橋になればいいなと思っております。どうぞよろしく。 For Non Japanese readers. Thank you very much for visiting my weblog.I am very happy to be visited. If you have time,please leave your comment.(^^) Ciao!

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2009/06/11

「見てきたような嘘」

「見てきたような嘘をつく」っていう行為は、小説家や画家など、芸術活動をする人たちだけに限られたことではなく、家庭での躾や僕らの仕事なんかにも多少は関係があるんじゃないかって思う。

さて、「見てきたような嘘をつかれている側」から考えてみよう。
運良く周りに比較するものが何にもない場合は、彼らは見てきたような嘘をつかれていることに気がつかず、これ幸いと騙されてくれるのだろう。

ところが、見てきたような嘘はどこまでいったところで、「見てきたような」、「嘘」にすぎない。
ということは、「(実際に)見た」、「ホント」と比較するとどうなるのかってこと。

僕は小説を読んだり映画を見たりすることが好きなんだけど、なんで僕はそれらが好きなんだろうって考えてみた。
「僕の好きな小説や映画には、虚構の中にリアリティがあるから」なんだろうっていうのが、いまのところの僕の結論だ。

ある小説家を例に挙げて説明(?)してみよう。

*彼は非常に寡作な作家(30年間で5作)で人前にはほとんど姿を現さない。
*1975年に発表の処女作を含め、執筆された5つの作品はすべて映画化されている。

ムダに引っ張ってもしょうがないだろうから、彼が誰なのかを書こう。彼の名はトーマス・ハリス。そう、架空のシリアル・キラー、ハンニバル・レクターの生みの親である。この作品の内容から考えて、彼に作品を書くにあたっての実体験があるとは思い難い。その意味では彼の代表作でもある一連の「レッド・ドラゴン〜ハンニバル」は虚構の世界の話であるんだけど、それでいてリアリティに溢れている。誰もが日常的には出くわす可能性が高いとは思えない世界の話を、誰もが身につまされるかのように思わせる。そこに表現者としての凄みを感じずにはいられないって感じが僕は好きなんだろう。(話自体は決してきれいきれいでも、楽しいものでもないんだけどね)


で、話を戻すけど、リアリティっていうのは実際にリアルである必要はないんだけど、虚構(作り物)によってリアリティを出そうとするんなら、実際のリアルなもの以上に、虚構にリアリティを感じさせる必要があるって、僕は常々思っている。たとえるなら、これは広告と広告されているモノとの関係ってところかな。モノそのものがそれ以上に見えないと、広告っていうのは効果を発揮できない。そう、見る者にイメージをさせること必須であるっていうことだ。必要に迫られて買うものであるなら、見てきたような嘘をついたりする必要はないし、そのまんまホントのことを淡々と伝えることのほうが、ある意味ラクであるんじゃないかなって僕は思う。(もちろん伝え方っていうものは熟考しなきゃいけないけどね)


僕はそんなにクリエイティビティ溢れる人間じゃないから、「見てきたような嘘」をつくことが巧くはないと思ってる。だから、「(実際に)見たホント」のことを、ほんのちょっとだけ加工して「シアワセに騙そう」としている。これがイイことなのかそうでないのかは、
自分ではなんとも言い難いんだけど・・・・・・・・。

ただ、「見てきたような嘘をつく」よりは、リアリティがあるだろうって確信してはいるんだけどね、、、、。(笑)

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