いらっしゃいませ。

こんにちは。

当ブログ管理人、千葉県八千代市で「個別学習ヴァージャー」という塾をしているうかる~る・岡本と申します。 ここでのブログはまだ始めてから短いですが、少しずつ充実させていきたいなと思っております。学習塾の塾長をしておりますが、教育の話はほどほど(?)で、日々のうたかたをお気楽かつ皮肉交じり?に綴っております。一部の個人情報を除いては「ほぼノンフィクション」になっております。ブログがリアルへの架け橋になればいいなと思っております。どうぞよろしく。 For Non Japanese readers. Thank you very much for visiting my weblog.I am very happy to be visited. If you have time,please leave your comment.(^^) Ciao!

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2009/05/28

Chapter・2:2004・弥生のある日

2004・弥生の或る日。


 非円満退社をした私はその一週間後から、自宅にほど近い賃貸ビルの一室に生業の場を設けた。岩田ビルという建物の二階にあるその部屋は、ローリングストーンズ好きの私の人生を直喩していた訳ではないのだろうが、新たなる船出の場とするには余りにも相応し過ぎる名前であった。というのもそのビルのその部屋は、私と同業の者たちが何人もテナントとして入居したことがあり、彼らは全て表しかないコインが表を出すように、華々しくも散っていったといういわくつきの場所であったのだ。そこは交差点のすぐ近くにあり、商圏としてはそれほど悪い所ではない。賃料も決して安いとまでは言えないが、かといって不当に高いものでもない。けれども何故か、そのビルに入った同業の先達は須く満開の桜の下で楽しい宴を満喫する代わりに、木の下に埋まっている屍体になっていたようである。おそらくは私の前にここで尾羽打ち枯らした方々も、その時の私と同じように「俺は違うから大丈夫」と思っていたであろうことは想像に難くはないのだが、先達がどのように消えていったのかを知る術はないし、知ったところで三時のおやつにもならないだろう。
 霧の中に隠れている火中の栗を手探りで拾いに行くように、私はこの場所を新たなる出発の拠点とした。地盤も看板も、もちろん鞄一杯の資金もなく、場末のストリップ小屋も裸足で逃げす程度の粗末な設備ではあったが、根拠のない自信と打たれ強さにコーティングされていた私には「中くらいのめでたさ」があったのも事実である。そんな訳で芭蕉の草庵を気取るわけではなかったが、私の豊饒とは縁もゆかりもない徒然でもの狂おしい方丈記は、ナマケモノが全力で移動するのと大差のない速度で動き始めたのであった。


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