いらっしゃいませ。

こんにちは。

当ブログ管理人、千葉県八千代市で「個別学習ヴァージャー」という塾をしているうかる~る・岡本と申します。 ここでのブログはまだ始めてから短いですが、少しずつ充実させていきたいなと思っております。学習塾の塾長をしておりますが、教育の話はほどほど(?)で、日々のうたかたをお気楽かつ皮肉交じり?に綴っております。一部の個人情報を除いては「ほぼノンフィクション」になっております。ブログがリアルへの架け橋になればいいなと思っております。どうぞよろしく。 For Non Japanese readers. Thank you very much for visiting my weblog.I am very happy to be visited. If you have time,please leave your comment.(^^) Ciao!

どうぞ、ごゆっくり。

2010/01/13

「師」という言葉から、「私」、そして「志」(毒?いや、それは自分では・・・)

師匠、教師、医師、美容師、導師、牧師。
どれも「師」という文字が使われているからか、
その職能やあるべき姿には似ている点が少なくない。
「師」という言葉の意味を広辞苑で調べてみた。

1)学問・技芸を教授する人。
2)宗教上の指導者
3)専門の技術を職業とする者。
(以下略)

とある。


私の仕事は私塾の経営(運営)であるのだが、
果たして文字通り「師」たるべく素養があるのか。
あらためて誰かにこう問われたとしたら、
師匠というよりは「恣生」(造語である)、
あるいは「滓小」(これも造語)であると、
答えざるを得ないような気がしている。

冗談のような自己紹介はさておいて、、、、。
私が個人的に考えている、「師」に必要な要素とは?
それは掌(たなごころ)の広さと、懐の深さである。
柔軟で広範な発想、思考で物事にあたり、
本居宣長のような度量を持って(以て)塾生と向き合うということである。
蓋しくも多くの「師」と称される方々は、
その知識、技術にひとかたならぬ自負をお持ちのことからか、
ややペダンティックに、タカビーに、
振る舞ってしまうきらいがあるように感じる。(私も往々にしてあるが)
「桃李もの言わざれども、下自ずから蹊を成す」ではなくて、
「オレ様ってば、グレートじゃん。すげーでしょ、ん?」というように、である。

もちろん、昨今は情報伝達手段が豊富にある時代であるから、
その潮流の中で今にも荒波にのまれて沈んでしまいそうな、
矮小な小舟に乗っている身としては、
巨大イカに食われないように「いかにせまし」と、
よしなしごとをこのような感じで書いたりもしているが、
それでもやはり「書き方」と「書くこと」については、
無いなりのアタマを無理くりに使って書いている。
なぜならば、意図しようがしまいが、
オモテに出ているものは紛れもなく自己の姿であるからだ。
そう私は常々思っている。

自分を如何に美化、正当化、神格化したところで、
それは単なる裸の王様化、自慰行為に過ぎない、と。
スカちゃん(スカーレット・ヨハンソン)のそれならば、
多少の散財を伴ってでも見てみたいとはちょっと思うが、
そうでないのならば「出来るなら、スルー」したい。
恐らくはそう感じる人は私だけではないだろう。
でも、南北朝ではないのに庭訓(塾訓か)が、
そこのけそこのけオレ様が通るという感じで、
往来(公共の場:ウェブ上かな)を傍若無人、唯我独尊で、
大名行列なさっている方々も見受けられる。
都会の昼寝を邪魔されるのは、個人的にはちょっとむかつくけれど、
これも一種の賭場の寺銭と思うしかないのだろう。

例によって話が逸れたので元に戻す。
「師」というものを考えたとき、
選ぶ側の基準には様々なものがあるだろう。
私の生業である塾というものも、
選んでいただいてナンボ、の世界であるから、
選んでいただくために腐心することは吝かではないというよりはむしろ、
ある程度積極的に選ばれるように動く必要がある。
誰からも選ばれなかったら廃業する他ないからである。
選ばれるために私がただひとつ留意していることがある。
それは「正直であれ」というもの。
仕事に関してだけではなく、仕事以外においてもである。
「営業用の私は、六時に閉店する」、
「五時から男」云々、
昔流行った宣伝コピーのように豹変できるほどの器用さを私は持たない。
だから敢えて「演じたり」、「仮面をつけたり」するよりも、
多少遠慮しながらも「素の自分」のままでいるのである。

今ここにこうして書いているブログ。
たかがブログではあるけれど、
私にとっては売り物である自分自身を伝えるための大切な場、
いわば「看板」でもある。
看板に「偽りあり」はいただけない。
羊頭を掲げてジンギスカンは売れるが、
苦肉の策として狗肉を売ることは
どうしたって出来ないのである。


ところで、お金を戴いて仕事をするのがプロであるのならば、
私も一応はプロの端くれになるのだろう。
プロであるならば、仕事の結果はどんな事情があったにせよ、
その責任は自分が負うべきではなかろうか。
このように考えると生徒ががんばるとか、がんばらないとか、
そんなことに拘泥するのは、
師たる自分の力の無さを広言しているだけではないだろうか。
(個人的な考えなので気に触ったらスルーってことで)

「受けたからには何があっても。出来ないことは受けない」

それがプロの矜持である。

風呂敷の大きさを気にする前に、
背負えるものの重さに耐えうる自身の力を。
違うかな???

ま、いろいろな生徒さん(親御さん)がいるから、
塾(の先生)にもいろいろあっていいのだろうが、、、。



(今日の一言)

「ヤレ!ヤレ!」と、カケ声カケて、「やれやれ」に
ならないために、(******)

(******)の中が気になる方は、
「必勝!中学受験攻略本」(by 華岡依音)を。

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